ホーエンツォレルン家はハプスブルク家と同族だった

(ホーエンツォレルン家の紋章)

世界史でホーエンツォレルン家という言葉を聞いたことがあると思う。19世紀の絶対王政のフリードリヒ2世が属していた家だ。調べてみると、この家はハプスブルク家と起源が同じであることがわかった。

そもそも、ホーエンツォレルン家はHohenbergとZollernという2つの伯爵領の名前を一つにしたものである。

Hohenberg(選択中なのでハイライトされている。右側がZollern

Zollern(選択中なのでハイライトされている。左側がHohenburg)


左に小さく表示されている白黒の紋章に注目してほしい。これはここではZollern伯爵領の紋章となっているが、のちにホーエンツォレルン家の紋章となるものだ。

さて、1066年、この2つの領地を直接統治しているのはEtichonen家。日本語でエティション家と言うらしい。ちなみに、このおばあさんの情報はネットでは見つからなかった。

この家がそのまま名前を変えてツォレルン家、さらにはホーエンツォレルン家となるらしい。らしいと書いたのは、紋章とか場所とかも一致するので確かなことのように思えるのだが、ホーエンツォレルン家の開祖であるらしいBurkhard I, Lord of Zollernが家系図のなかで確認できないからだ。正直なんでかわからないが、いったんこのことは忘れよう。

そのゲーム内家系図


ちょっと小さくてわかりにくいが、右側にHapsburgとその紋章が見える。数世代前に本家Etichonenから分かれたのがハプスブルグ家だというのがゲーム内の情報にもある。

で、いまの首領のおばあさん伯爵が青でハイライトされているのだが、その左にはレオ9世という教皇の名前が見える。教皇を排出している家系なのだから、当時から相当な名家であることは間違いない。


さて、Etichonen家の始祖を見ると、Duke Eticho of Alsaceとなっている。これはwikiの記述とも一致する。フランスのアルザス地方の出身だということ。ストラスブールとかあるところだね。


さて、1066年時点のそのAlsace地方を見ると、ここでもEtichonen家が統治している。分家でもなく、同じ一族。この一族は13世紀のGertrude of Dagsburgのあと断絶する。

1066年時点でのハプスブルク家。これゲーム内で探すの難しいんだよな。


ハプスブルク家がAargau伯爵領を統治しているのがわかる。今でもここにBielという町がある。ちなみに、飲み物のビールの語源はラテン語bibereから。残念(何が?)

小さく単頭の鷲の紋章が見えるが、ゲームではこれはAargau伯爵領の紋章となっている。今でもここにあるアーラウという町の紋章にもなっている。後にハプスブルク家は双頭の鷲の紋章を使うが、いまは見ての通り違うし、関係なさそうだ。

ハプスブルク家の家系図

1066年時点だと、一世代前にできたばっかりの家だということがわかる。1045年に亡くなったCount Radbotが開祖だというのはwikiの情報とも一致する。どうやら、さらにその父親がアールガウ地方を強引に占領したようだ。

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ということで、ホーエンツォレルン家とハプスブルク家の起原が同じであることが1066年時点のCK3内情報で確認できた。英語のwikiを読めばこれはわかることなんだけど、日本語ではどこにもこの情報は書かれていなかったので、ちょっと書いてみた。

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